突然、部屋の襖が勢い良く開いたと思うと 成実が慌てた様子で駆け込んできた。 「梵が帰ってくるって!」 「政宗様が!?」 「(まさむね…独眼竜の伊達政宗か?)」 手負いが何か呟いたように思えたが、 殿が帰ってくるとなればのんびりしてはいられない。 成実の話によれば、甲斐へ向かう道中 何やら忘れたらしく取りに帰って来られるというのだ。 「かなりの早馬で向かってるって」 「それはまた…」 「一応床とか庭の血痕は始末しといたけど」 「助かります…殿が具体的にいつ頃帰ってこられるかは…」 「あー…それはちょっと…」 「そうですか…」 息を吐く間もないやりとりに一息吐くと 成実が手負いを見下ろし、口を開いた。 「この手負い、どうするんですか」 穏やかな物言いだったが 明らかに敵意を剥き出しにした一言だった。 …成実のことだからもっと強い物言いをすると思ったが…。 やはり殿同様、成実も大人になったということだろうか。 「よいしょ、っと…」 うっかり感傷に浸っていると、 手負いが立ち上がり、こちらを向いて軽い口調で言った。 「心配には及びませんよ〜、俺もう帰るんで」 「しかし怪我が…」 「平気平気、これだけ見事に手当てしてくれてるし」 言って、手当ての跡を見せながら縁側に歩を進めていく手負いに、 気恥ずかしさから何も言えず立ち尽くしてしまうが 成実に脇を小突かれ我に返り、手負いの傍に寄った。 「あの…」 「小十郎さん」 「えっ…」 「…だっけ?」 「あ…はい」 不意に名を呼ばれて驚く私に苦笑。 返事を返すと、しばしの間の後 手負いは言葉を紡いだ。 「また会えるよ俺ら」 「は…?」 落としていた視線の先の影と、隣に感じていた気配が消える。 そのことに顔を上げると、庭先に手負いが見えた。 息を呑み駆け寄ろうとすると、 私を制止するよう掌をこちらに突きつける庭先の影。 「この礼はまた今度ってことで」 「あ、あのっ!」 それじゃあ、と言い去っていこうとする手負いを呼び止めると 器用にも塀の上から静止してこちらを振り返った。 「何?」 「…いえ………お名前を…」 それだけのことを言うだけで、何故か鼓動が早くなる。 忍に名を問うなどと馬鹿げたことは今まで一度もなかった。 問うたとしても、答えは返ってこないとわかっていたから。 私の問い掛けを引き金に沈黙が流れる。 期待も望みも薄れてきたその時だった。 「明日…明日以降の子の刻に、この木に文を託す」 「文…ですか…?」 「そう。俺様直々にこの木の枝にちょちょいっとね」 どこか楽しそうに文を括りつける様な仕種を見せる手負い。 彼の意図がなんとなくわかり、次に私が言葉を継ぐ。 「そこに貴方の名があると」 「そういうこと」 「…ですが、この城にそう易々と忍び込ませはしませんよ」 「望むところ」 真面目かと思うと「なーんてな」などと軽口を叩く。 そこまでふざける余裕があれば、もう怪我の心配は無用かと ほんの少しだが安堵できた。 「あ、でも待ち伏せは勘弁してくれよ?」 「…それでは潜入予告をされたよしみで、この庭だけは空けておきます」 「そりゃどうも」 「ですが、他は徹底的に見張りをつけますのでお覚悟を」 私の言葉に「おぉ怖い」と肩を竦め、片手を軽く振り 彼は塀の上から消えていった。 「あーあ…前もって敵の侵入許すなんて。 …小十郎さん、熱でもあるんじゃないですかー?」 傍らですっかり呆れ返った様子で言う成実に静かに同意した。 あれから数日。 朝が来るたびにあの木を確認するのが日課になりつつあった。 文が小枝に託されないことを成実は喜んでいたが 私はそうではなかった。 いや、嬉しいことには嬉しい。 あのような手練れの忍にも打ち破れぬ警備が成っているということ… そのことについてはとても誇らしい。 だが、あの小枝に文が無いことを確認する朝はどこか寂しいのだ。 頑丈な警備を破れるわけが無いという自信と そんな見張りをも破って あの枝に文を託してくるのではないかという期待が絡み合い なんとも複雑な心境を作っていた。 今朝も同じように中庭へ足を運ぶ。 「あっちゃー…やられたか…」 私同様、毎朝あの小枝を監視してきた成実の声に顔を上げると その枝先に白い物が括り付けられている様が見える。 私は思わず縁側から駆け出し、託された文を見上げた。 「そんなに嬉しいんですか?」 足袋だけで駆け出すなんてと言われ、己の足下を見て驚く。 履物に守られるでもなく曝け出された足袋は 先ほど駆けたことが原因だろう、薄汚れてしまった。 まるで子供のようだと笑い飛ばす成実を制止ながら履物を求め縁側へ向かう。 …この様な気持ちは何時振りだろうか。 草履に足を通したところで、成実がいつの間に取ったのか 小枝に結わえられていた文を私に差し出した。 「ほら」 「あ…すみません」 「いいっていいって」 久しぶりに面白いモン見れたし、と付け足し縁側に座り伸びをする成実を尻目に 私は逸る心を抑え、文を開き見た。 右端には律儀にも『片倉小十郎景綱殿ゑ』の文字。 「中、何て書いてあんですか?」 「ええ…まったく、侮れない忍ですよ」 言いながら成実に文を手渡す。 その文を陽に透かすように眺めながら「ふーん」と零し、成実は舌打ちをした。 乱暴に返された文を再度読み返してみる。 『警備不良也 猿飛佐助』 乱暴にも丁寧な並びの文字と洒落に可笑しくなり笑った。 「笑ってる場合じゃないよ小十郎さん、それ嫌味しか書いてないじゃん」 「そうですね」 「何でそんな楽しそうなんですかー…もー、ごしゃげるー」 言うなりゴロンと寝転んでしまう成実が滑稽に見え、 更に笑いが込み上げてきてしまう。 「まぁまぁ成実、そんなに拗ねなくても」 「拗ねてねえっ悔しんだっ」 ガバッと身体を起こし勢いに任せて喚いて、 こちらを見返り次に出た言葉は溜め息をつれていた。 「…まさか7日せず攻略されるなんてさぁ…。 こうなったらこっちからも出向いてって」 「あの忍が何処の者かご存知だと」 「あ…」 そう言えば知らない、と 頭をかきむしって悔しがる成実を横目に 再三、文に目を落としてみる。 「猿飛、佐助…」 呟き文字をなぞると彼の声が蘇る。 『また会える』 その時は、何の確証があってのことかと呆れたが 今なら納得というものだ。 「あ、梵だ」 成実の声に見やると、殿がこちらに向かってくる様があった。 いつものように駆け寄りじゃれようと飛びつく成実を やはり鬱陶しそうに引きずりながら私の前まで来る殿。 「小十郎、今から出る。支度しろ」 「今から…ですか…?」 「俺も連れてけ梵ー」 「バーカ、江戸に行くんじゃねェんだよ」 「…なんだまた"甲斐"?バカは俺じゃなくて梵だ」 「Ah?what'd you say?」 どちらもまだまだ子供だと、 目の前で繰り広げられる言い争いにそう思い直した。 段々と激化する言い合いはとても微笑ましい日常。 いつもより和やかな気持ちになるのは手の中の文が原因だろうか。 「…私が一番"バカ"なのかもしれません」 「Ah?」 「は?」 言い合いをヒタと止め、二人は私の方を唖然と見る。 「いいえ、何でも」 それに笑顔で答えると 二人は更に眉をひそめて顔を見合わせていた。 土産は何が良いだろうか。 考えただけでも胸が躍る。 誰かを求め訪ねることがこれほどまでに胸を打つとは予想外だ。 「…7日もせずとも逢えるとは」 奇妙な巡り合わせに可笑しくなり呟いた彼の名を 彼の前でもう一度紡ごうと思う。 |